焼肉屋の上タンより仙台の牛タンはなぜ美味いのか?

仙台牛タンの登場

 

 

さて、仙台の牛タンです。今ではすっかり有名な「仙台牛タン」ですが、仙台都市圏の牛タン料理は、庶民の外食産業から発展してきたものです。戦後の占領期、仙台市街地での外食産業というのは、宮城県内に終戦後の1ヶ月程度で一気に約1万人にまで急増したのです。経済的富裕層となる進駐軍のGIが仙台都市圏に集住し、それからは主要客となったのです。

 

 

急激に発達したキャンプ周辺の歓楽街以外でも、日本人向けの和食、中華、洋食店舗、焼き鳥屋などがいろいろありました。こうした環境の中で、東一番丁の焼き鳥屋の佐野啓四郎氏(山形県出身)が料理人としての知識、技術を用いて、この当時の日本人の味覚に合う牛の舌部を使った「牛タン焼き」と、同尾部を使った「テールスープ」を考案したのです。

 

 

また、当時の日本人の食生活に合わせ、定食屋での一汁三菜型にならって「牛タン定食」も完成させました。進駐軍では、解体された牛肉の正肉だけを輸入していたので、臓物の牛タンの供給元にはなりませんでした。そこで、周辺県の屠畜場で牛タン等を求めたようです。

 

 

「牛タン定食」は、当時、食糧難という環境を反映していたので「麦飯」であり、まだ冷蔵庫もないので、生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」、佐野氏の出身地である山形県の伝統料理「味噌南蛮」をチョイス、そして、そもそも都市ガスが一般化していなかったので、炭火による牛タン焼きとなったのです。